


萬翠荘の本館へは「坂の上の雲ミュージアム」へと続く道をさらに奥へと1〜2分ほど歩きます. じつはミュージアム入口の手前に萬翠荘の玄関が設置されているため、入口は萬翠荘の敷地内に設けられているような感じになっているのですが、これは萬翠荘の付属施設というわけではないそうです. 美しく刈り込まれた庭園を進めば、レトロ感溢れる2階建ての本館が現れます. すぐ南は松山の中心市街地ですが、ここはそれとは隔離されたように静かで落ち着いた場所です.
この萬翠荘は松山藩の15代目藩主だった久松定謨
(ひさまつ さだこと)伯爵の別邸として1922年に建設された別荘です. 『萬
(よろづ)翠
(みどり)の荘』ということで名付けられた当館は、ネオルネッサンス様式で設えられた左右非対称の外観を有する洋館建築. 戦争終結後は米軍に接収されたりと紆余曲折ありましたが、現在は文化振興の場として利用されています. 2011年には国の重要文化財として、本館と正門近辺に建つ管理人舎
(写真3枚目)が指定されました.





外観をもう少し詳しく見ます. 屋根一面を覆う濃いグレー調の鱗瓦、そこから飛び出す出窓や屋根頭頂部は銅板が使われており、瓦のグレーと銅板の緑の冴える急勾配の屋根がよく目立ちます. 玄関の車寄せの柱は、ギリシャ建築のオーダーの中でも最も複雑なコリント式のオーダーに近いものになっており、当時の石工職人の装飾技を見ることができます. なるべく正面から撮りたかったのですが、本館正面の巨木で大半が隠れるため叶いませんでした.
久松伯爵は陸軍駐在武官としてフランス生活が長かったことから、別荘もフランス風にという思いがあったそうです. その『松山藩主の別荘の設計』という超大役を任されたのが木子七郎
(きご しちろう)氏でした. 宮内省技師の四男という由緒ある宮大工の家系に生まれ、大阪を中心に活動した建築家です. 木子氏が当館を設計したことから松山での名声は非常に高かったようで「愛媛県庁舎」を筆頭とした数々の建築を松山に残しています.





それでは中へと入ります. 1階は無料ですが、2階は観覧料が300円ほど必要です. 玄関に入るとまず見えるのは、南洋から輸入したチーク材の手摺や彫刻が施された階段で、その踊り場の先には船のデザインが描かれた非常に美しいステンドグラスがはめ込まれていました. このステンドグラスは色彩にグラデーションがかかったアメリカ式のもので、大海原を往く船は久松伯爵が渡仏の際にみた大海原を思い起こさせるものとなっています.
洋館建築だけあって各階の天井は一般と比較しても非常に高く、各部屋への扉の上スペースには曲線美を特徴とするアール・ヌーヴォー調の模様が描かれたステンドグラスが扉ごとに描かれています. エントランスの両端にある石の柱
(写真3枚目)は岡山産の万成石
(まんなりいし)を使用し、その表面に現れる美しい紋様で豪華さを演出しています.





無料である1階フロアを観覧できるのは南側の「サロン」と北側の「食堂」の2室ですが、この両部屋はお互い全く異なった表情をしています. 社交場として使用された真っ白な空間が特徴的な「サロン」には、回り縁に至るまで細やかな装飾が刻まれた西洋感あふれる華やかな部屋に対し、「食堂」は焦げ茶をベースとした格天井が上に広がる落ち着いた部屋になっています. 当時の豪華絢爛さを和と洋の双方から攻めたような面白い対比になっているので、ぜひ見比べながら見学してみてください.
有料である2階には昭和天皇が実際に滞在した部屋など見学できるのですが、ここから先はぜひ見学料を支払ってご自身の目で確かめてみてください. 「松山城」や「道後温泉」など和の建物が印象的な松山ですが、調べてみるとこんな洋館建築スポットがあることに驚きでした. 松山に来た際は安藤氏のミュージアムとセットで見てみることをお勧めします. ではでは今回はここまで〜
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