



松山市の中心部から道後温泉へと向かうならダントツで路面電車です. 道後温泉行きの列車も多く設定されていますので待ち時間も少なく済むのが便利です. 路面電車の終点駅にもなっている『道後温泉駅』は明治時代の町並みを思い起こさせるレトロな外観. この駅舎は先代の駅舎を忠実に再現させた3代目の駅舎として1986年に建てられたもので、道後観光のメインターミナルにもなっています.
更に駅舎から右へ視線を向けると、松山の代表的観光列車『坊っちゃん列車』が停まっていました. 小型の汽車のような見た目をしているこの列車は、1900年始めまで実際に伊予鉄道で走っていた蒸気機関車を復元させたものです. かの夏目漱石の小説『坊っちゃん』では「マッチ箱のような汽車」として紹介され、2001年に運行を始めました. 道後温泉へは駅を出てすぐ見えるアーケード街を進んでいきます. 大半は土産物屋ですが、中には小洒落たカフェもありました.





唐破風の大屋根が特徴的な玄関を正面に、2・3階建ての木造建物が集まってできたような本館は、老舗旅館に匹敵する風格・威厳を感じさせます. 北側に移動すれば温泉の渦を表現した意匠が並ぶ、木造3階建ての素晴らしい和風建築を望めます. 当初はこれが公衆浴場だというのが、にわかには信じられませんでした.
日本三古湯のひとつとしても数えられる道後温泉の誕生は3000年前に遡るといわれており、白鷺伝説など日本古来の神話上にも出てくるほどの歴史ある温泉です. 道後
(どうご)という名の由来は、大化の改新後の今治に伊予国の国府が置かれたことで当時の都である京から見て国府
(今治)より近い地域は『道前』、遠い地域を『道後』と呼び、時代とともにこの温泉名として定着しました.
現在の道後温泉は1890年に道後湯之町の町長に任命された伊佐庭如矢
(いさにわ ゆきや)氏の働きかけのもとで改築されたもの. 建物の設計を手掛けたのは松山藩の城大工だった坂本又八郎氏で、坂本氏は1894年に3階建ての「神の湯本館棟」、1899年には「又新殿・霊の湯棟」を手がけました. 現在の玄関は30年ほど後に増築されたもので、それ以前は神の湯本館から直接出入りしていたそうです
(写真5枚目).





もう少し外観をぐるっと見ていきましょう. 正門玄関の裏側となる西側にまわると、建物の屋根は瓦から銅板葺きになっており、銅板屋根の部分が「又新殿・霊の湯棟」です. 東側の瓦と比較すると非常にすっきりとした印象のある屋根に見えます. 又新殿
(ゆうしんでん)は日本唯一の皇室専用の浴室です. 今は使用されていませんが、大人210円払えば誰でも見学ができます.
写真4枚目は本館南東側にそびえる『冠山
(かんむりやま)』からの眺めで、観光雑誌ではよくここからの眺めが掲載されるほど有名な撮影スポットです. しかし商店街からの照明が明るすぎるためにこのような逆光が…機器整えて再チャレンジしたいです. 写真5枚目は「神の湯本館棟」の真上にある振鷺閣
(しんろかく)で、道後温泉では午前・午後6時と正午12時にその時刻数だけ太鼓を叩くのが習わしです. 是非この時間を狙って太鼓の音を聞いてみてください.

では内部へ突入しますが、残念ながら
全館内撮影禁止でした. なので以降は文章のみの解説です. 今回選んだのはグレードとしては下の「神の湯」なのですが、浴場は思った以上に狭かった印象です. しかし男性側には更衣室両脇に2つあるので、少ない方を選ぶのがいいと思います. 観光志向なのか貸しタオルや石鹸は60円という破格の値段なので、手ぶらでも安心. とりわけ温泉オリジナルの『みかん石鹸』は愛媛らしい石鹸なので、試しに買ってみるのもアリかも.
入浴後は3階個室フロアの一番奥にある『坊っちゃんの間』に行ってみるといいでしょう. この部屋だけは階下の人でも自由に見学できますが、必ずスタッフに一声かけましょう. 小説『坊っちゃん』では道後温泉を「住田の湯」と書いており、主人公は列車に乗ってここに通い詰めたことでも有名ですね.
ここらで道後温泉に関する紹介は終わりですが、最後に『坊っちゃん団子』について. 松山銘菓であるこの団子は抹茶・卵・小豆の団子を串刺しにしたものですが、卵はアレルギーの問題のため現在では黄色に着色した白餡を使っています. 加えてこれは商店街の人からの知恵で、商店街内で作っている団子とお土産屋で売っている団子とでは保存などの関係から材料の質が全く違うそうな. なのでその二つを食べ比べするのも面白そうだと思います. 松山観光の鉄板ですが、建物・鉄道・食などの歴史も色濃く残る道後をより深く探るのもいいかもしれませんね. ではでは今回はここまで〜
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