2016/05/25




それでは外観から. 梅田へと伸びる御堂筋に対して大きく展開されたファサードは、アカンサスの葉を模した彫刻が特徴のコリント式オーダーで設えされた西洋様式のものです. 上部4フロアの窓を囲む14連アーチが横まで続く豪快かつ荘厳なファサードは、全国の百貨店建築を探してもここだけだと思います.
設計を手掛けたのは明治末期〜昭和中期までを中心に活躍した建築家 久野節(くの みさお)氏です. 鉄道省の初代建築課長を歴任した経緯から「東武浅草店」や「近鉄宇治山田駅舎」などの名駅舎建築を手がけています. 「あべのハルカス」の大元となった「大鉄百貨店阿倍野店」も久野氏の設計でした. 久野氏の中期作品となる南海ビルは4代目駅舎(駅ビル)で、2009年に建築家 大江匡氏率いる『プランテック』によって大規模な改修が実施されました.



もう少し近くで撮影した写真も掲載しています. 写真3枚目にある羽と車輪がセットになった装飾は『羽根車』と呼ばれる南海の旧社章だったものです. 関西五大私鉄の一社として大阪と和歌山・高野山を結ぶ『南海電気鉄道』は、難波と大和川を結ぶ『阪堺鉄道』として1885年に運行を始めました. 半官半民である『日本鉄道』や馬車鉄道を除けば日本最古の私鉄でもあることから、この難波駅は日本初の私鉄起終点駅になるという非常に歴史のある駅舎でもあります.




中央部にあたるアトリウムへきました. ここには『ロケット広場』と呼ばれる巨大ロケットが飾られた待ち合わせスポットがありましたが、当時屋根がなかったため雨が地下フロアまで降り注ぐという問題がありました. 2009年の大改修ではロケットを撤去し、ガラス屋根としてビルの上部に展開することで、約7層分がっぽりと空いた巨大アトリウムとして整備されました. 難波駅への大階段も整備され、関空からの海外客からは大阪ミナミの入口としても機能しています.
アトリウム内でひときわ目立つ巨大な2本のポールは、上部のガラス屋根を支える柱として機能しています. 写真3枚目をみると丸柱は下から支えるのではなく、ガラス屋根を貫いてその上で傘状に展開して吊り上げるように組み上げられています. 菊竹氏の『アンブレラ・ストラクチャー』似ているような気もしなくもないです. 大階段を下りながら上を見上げると、難波駅の設立年・南海ビルの竣工年を改修年が英数字表記で書かれ文字を確認できます(写真4枚目).
高島屋館内は大幅にリニューアルされたようで、どれがオリジナルなのかも見当がつきません. アーチ型になった1階エレベーターは、「大丸心斎橋店本館」の1階エレベーターを簡略化したらこういう風になるのかなと思ったり. 『そごう、大丸、高島屋』と称されたミナミの百貨店も本店が現存するのは高島屋のみ. 今後も残っていてほしいものです. ではでは今回はここまで〜
※ お詫び
写真健全化に伴い、以前まで掲載していた高島屋エレベーターホール・屋上広場の公開を停止します. 掲載条件の再確認ができ次第、文章・写真を整理してまいります.
※ Googlemapでは入居百貨店である「大阪タカシマヤ」を表示しています.
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