2016/06/13





聖武天皇によって建立された「東大寺」は、当時の主流であった『南都六宗』を兼学する仏学の場として知られ、全国から多くの僧がここへ出向きました. しかしながら、その歴史は当時の戦国世情に大きく翻弄されたものでした. 10世紀末には平氏に反発する寺社勢力討伐の目的で焼かれ(『南都討伐』)、14世紀中頃には松永久秀らの戦いによって二度目の焼討に遭います(『東大寺大仏殿の戦い』). 現在の大仏殿(写真1枚目 奥)は1709年に完成した3代目のもので、世界遺産は当時の人々の寄進によって成り立っているのです.
東大寺南大門のすぐ西隣に完成した文化センターは、東大寺が所有する宝物や資料の修理・保存を目的として2010年に開館しました. テーマは現代の正倉院と、木造である正倉院に代わって耐火性能を保持した現代の新しい正倉として計画されました. 館内には宝物を一般公開する博物館『東大寺ミュージアム』や、研究のための閉架書庫を備え付けた『東大寺図書館』など東大寺全般に関する文化発信の場としての役割も担います.





もう少し外観を細かく見ていきます. 屋根は庇から頂上まで奥行きにして20mほどあるのですが、五尺勾配の傾斜にすることで建物の圧迫感をなくし、全面本瓦葺の瓦屋根を劇的に演出させています. 丸瓦の先端には東大寺で伝統的に用いられている『蓮華文様』(写真2枚目)が刻まれています. 建物の横側に回り込むと、障子のようなデザインをした陶板タイル(写真4・5枚目)がビッシリと一面に張り込まれています. 非常に美しく仕上げられた見事なディティールです.
設計を手掛けたのは建築家 戸尾任宏(とお ただひろ)氏が主宰する『建築研究所アーキヴィジョン』です. 生涯で実に70以上もの博物館関連施設を手掛けたことで有名な博物館建築家として知られ、代表作に「宮内庁三の丸尚蔵館」や「萩博物館」、 奈良県下では「奈良県立民俗博物館」や「奈良県新公会堂」などの作品を手がけています. なお戸尾氏は2011年に逝去しているため、この文化センターが恐らく最後の作品になるかと思われます.





それでは館内へ. エントランスは朱塗りされた木ルーバーが天井を覆い、中央には人間国宝の漆芸家よって制作された作品が展示されています. 入口の左側に進めば、かつてここに存在した東大寺学園の旧体育館を改修した『金鐘ホール』がありますが、当日は修学旅行生が使用中でした. カフェからは南大門を眺めることができる休憩場として人気のようで、当日は多くの外国人客で賑わっていました.
ではミュージアムへまいりましょう. 国宝級の仏像・仏具などが多く展示されているのですが、これで観覧料500円(当時)は破格の安さな気がします. 展示室は黒を基調とした空間で、巨大な仏像を安置させるスペースは朱塗りの格天井、斗栱部分は大仏殿に組まれているものと同型のもので設えています. 国宝級の宝物が展示されるため展示室は丸ごと免震化しており、これらのハイテク技術が宝物を守る正倉としての役割にとってかわることになるでしょう. 大仏を観覧した後は是非こちらにも足を伸ばしてみてください. ではでは今回はここまで〜
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