




美術館の最寄りとなるのは広島電鉄皆実線の比治山下停留場
(写真1枚目)で、広島駅からは5号線系統(広島港行き)の路面電車が、電車での唯一のアクセスルートとなります. 美術館のある『比治山
(ひじやま)』は、広島駅のちょうど南方向にある標高70mの小高い丘で、市内有数の桜の名所として親しまれています. 原爆投下の際は、山の西側からの爆風を遮ったことで、東側の火災被害の拡大を防いだとのエピソードもあります.
先ほども述べた通り、美術館はこの比治山の山頂にあるため、停留所からは徒歩5分程度の上り坂が続きます. 途中にショートカット用の階段がありますが、傾斜が急なので足腰の弱い人にはお奨めできません. 彫刻作品のある広場
(写真3枚目)を抜けて、石垣が積まれたアプローチ壁
(写真4枚目)が見えてきたら、美術館はもうすぐです. 早足で着いたので息も上がり、軽い山登りをしたような感じです.





美術館は円形に展開されたアーケードをメインとする、どこか小洒落た雰囲気を感じさせる外観. 緑の公園の中に真っ白な外観というのもインパクトがあるのですが、曇り空のためその白さが強調されない写真になったのは個人的に残念です. 円形広場の左右には、切妻屋根のボリュームが展開しており、屋根を横方向から見ると
(写真3枚目)蔵っぽいな〜と思っていたのですが、実際に江戸期の土蔵をモチーフとしているようです.
比治山の芸術公園構想の中核施設として計画されたこちらの美術館は、広島市政の施行100年、広島城の築城400年となる1989年に開館しました. 現代美術館としては国内初のもので、第二次世界大戦以降の現在美術を収蔵・展示しています. 設計は黒川紀章氏で、黒川氏の作品の中では唯一日本建築学会賞を受賞した作品です. この前年には
「名古屋市美術館」を、2年後には
「奈良市写真美術館」を完成させたりと、この時期に文化施設をバンバン手掛けていたようです.
黒川氏が手掛けた一つの仕掛けが、中央の円形広場である「アプローチプラザ」
(写真4枚目)の外周を覆う、正面部分だけがカットされた大屋根
(トップ写真)です. じつはこのカットされた方角は、広島原爆の爆心地に向いており、この方角の先に進めば野外彫刻が置かれた広場
(写真5枚目)に、そしてそこから今の広島市街地を一望できるようになっています. また列柱の下には被曝石が使用されたりと、広島の歴史に根ざした仕掛けが施されています.





回転自動扉に半円の開口が開けられた、いかにも黒川氏らしいデザインが設えられた自動ドア
(写真1枚目)を通って館内へ. 撮影は展示室以外の撮影OKということで、ここでは主にエントランスロビーで撮影した写真を掲載しています.
館内も白を基調とした明るい空間. 横のガラス
(写真2枚目)からは野外彫刻作品が確認できます. そんな真っ白な空間で個人的に気になったのは、トラスの組まれたゴミ箱・椅子などのインテリアや、スチールで張り出した吸排気口のデザイン
(これらは主に写真3枚目)にみられるハイテク感のあるデザイン. 恐らく黒川さんのデザインだと思うのですが、手軽なもの(特にゴミ箱)なら家にぜひ欲しいカッコイイものでした.





この美術館の特徴は、比治山の森の景観を壊さないように建物の半分を地下に埋め込み、建物高さを抑えていることにあります. 実際に展覧会のギャラリーは、後半から地下フロアに降りるように動線が計画されています. 現在では頻繁にみられる景観に配慮した地下埋没型の美術館ですが、1990年初めではまだまだ少数派の斬新なものだったでしょう. 黒川氏というと『共生の建築』が後年の設計思想ですが、ここでも自然と美術館との共生が見事になされています.
館内を回りながら、個人的にユニークに感じられたのは多種多様な開口のデザイン. 地下へ向かう階段の踊り場には三角形の湾曲ガラス
(写真2・3枚目)やハート形
(写真4枚目)、キッズルームの奥には円から放射状に伸びるスチールの開口デザイン
(写真5枚目)が確認でき、多様な光の落ち方をしているのが面白いところでした. 丘の上に建つ黒川氏の美術館建築に興味が湧いたはぜひ. ではでは今回はここまで〜
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