




迎賓館の最寄りとなるのは阪急電鉄の芦屋川駅. 梅田から特急でお越しの場合は、夙川駅で乗り換えが必要です. 写真1枚目は駅近くを流れる芦屋川沿いから撮影したもので、写真中央の森に覆われた遺跡のような建物が迎賓館です. 前日は地図でしか場所を把握してなかったのですが、実際にくると「あれだな」と一発でわかる特徴的なシルエットでした.
迎賓館は駅の場所から少し高台の場所にあるため、途中には『ライト坂』
(写真2・3枚目)と呼ばれる長い上り坂が続きます. 迎賓館への道しるべとしては非常にわかりやすいネーミングですね. しばらく登ると正門
(写真4枚目)に到着です. 正門を入ると、しばらくは石垣が脇に続く緑のアプローチ
(写真5・6枚目)を進んでいきます. 当日は猛暑日だったのですが、ここは避暑地のような涼しい感じで気持ちよかったです.








緑のアプローチを抜けて、ついに迎賓館本館へと到着です. もともとこちらの迎賓館は酒造メーカー『櫻正宗』の当主であった八代目山邑太左衛門
(やまむら たざえもん?)氏の別邸として1924年に竣工しました. その後は一度別の実業家が別荘として所有し、1947年に淀川製鋼所が社長公邸として所有します. その後は米国人への貸家になったり社員寮になったり用途がと変わりますが、最終的には1989年に現在の迎賓館として一般公開されます.
18世紀末から19世紀にかけて活躍した米国人建築家 フランク・ロイド・ライトは、人工物と自然が調和した『有機的建築』と呼ばれる思想や、屋根の低い水平力を強調させた『草原住宅
(プレイリー・ハウス)』という住宅様式を特徴とし、
「国立西洋美術館」の設計者であるル・コルビュジエなどと並び『近代建築の三大巨匠』と称されています. 彼が手掛けた国内建築には他に「旧帝国ホテル
(博物館明治村に玄関部のみ移築)」や「自由学園朝日館」が有名. ここでは基本設計までをライト本人が担当して1922年に帰国. その後は弟子である遠藤新氏らが実施設計を手掛けて完成させました.
迎賓館の玄関ともなる1階の車寄せ
(写真3・4枚目)は、天井高を低くして広く演出. 南側の開口
(写真5枚目)からは海側の芦屋の街並みが一望できます. 幾何学模様が組み合わさった大谷石
(おおやいし)の装飾
(写真6・7枚目)はライト建築の特徴のひとつで、その洗練されたデザイン性、加工技術に興味津々で撮影. 館内の入口
(写真8枚目)は片開き一枚扉の小さいもので、アプローチ方向からは見えません. 正面入口なのに、雰囲気は裏口のようで意外でした.






迎賓館への入館料は大人500円、開館日は毎週水・土・日曜日と祝日です. 数年前までは館内撮影は禁止だったのですが、現在はオープンになっているようでブログ掲載許可もOKしてくださいました.
掲載している写真は、先ほどの車寄せの真上の位置にある2階の「応接間」の様子. お客様を接待する迎賓館の『顔』となる部屋です. 北側には装飾が刻まれた大谷石の暖炉
(写真2枚目中央). 東西の正面には巨大な1枚窓が取り付けられ、特に西側
(写真3枚目)は山手の街並みが一望できるようになっています. 壁の上部分には扉の付いた無数の小窓
(写真4枚目)が並び、小窓全体で天井を明るく照らしています. 細かい装飾や仕掛けに目が行きがちですが、全体的に調和のとれたシンメトリーの構成になっているのも素晴らしいです.
写真6枚目は、西側の1枚窓付近に展示されている迎賓館のペーパー模型. アプローチからは南端の一部しか見えなかった外観ですが、全体的には丘のに沿って段々状に建てられているのがわかります. これに周辺の木々が覆うことで、駅付近からは森と一体化したようみえる. 傾斜に沿ってズラしながら重ねるという大胆な発想は、今の世代でいう安藤氏の「六甲の集合住宅」に似たものを感じますが、これはその前駆者的なものになってくるのでしょうか.






応接間から階段を上って3階へ. 石の階段を上ると北方向にグーッと伸び、窓枠の影が床に投射される見事な廊下
(写真1枚目)がお出迎え. 夕方ごろになるとこの影が大きくなり、廊下が黄金色に輝くそうです. 3階に至る階段は石段となっているのですが、個人的にはその大胆な素材の扱いよりも「なぜ石段?」という用途的な疑問を巡らせるばかりでした.
長い廊下の脇ににある石段を上れば、3階のメイン空間である和室
(写真4・5枚目)に到着. 6畳、8畳、10畳が一直線の続き間となり、奥への連続性が強調された和の空間. こちらは当初のライトの設計にはなく、施主の要望によって遠藤氏ら弟子方の配慮によって完成したもの. 緑青の美しいクローバー型の飾り銅板を欄間にはめ込むという発想は、木の欄間を見慣れた自分には新鮮味を感じされるものでした. 菱形を重ねた襖の取っ手もカッコイイです.





さらに3階北側にある奥の部屋へと進みます. 建物全体が段々状となっているのは事前に解っていましたが、実際に訪問するとすごく南北に長く感じさせられるほど広く感じます. 奥部屋は主に寝室のフロアになっており、家族寝室
(写真3枚目)と障子窓で連続する和の婦人室
(写真4枚目)、映像コーナーとなった子供寝室
(写真5枚目)が配置されていました. ちなみに一部の寝室は売店として利用されています.
映像コーナーの記録資料をみると、迎賓館も竣工以来そのまま残されているわけではなく、幾度もの修理工事の末に現在の姿を保っていることがわかります. 大きいものとしては一般公開前に実施された1985年に保存修理工事、そして1995年の阪神・淡路大震災による復旧工事でした. 関係者の方によると、貸家として米国人が住んだ部屋にはペンキが塗られていたため再生が大変だったと聞きましたが、そんな有志の皆様の取り組みによって、竣工当時とほぼ変わらない姿で残っています.






さらに階段をのぼって、4階の「食堂」にやってきました. 中央に備え付けられた大谷石の暖炉
(写真1枚目)、キューブを組み合わせたような独特なインテリア
(写真4枚目)、三角形状に切り抜かれたトップライト
(写真6枚目)等々. 設計センスが爆発したかのような、食堂とは思えない濃密な空間です. 食事という生活のメインとなる場ですが、空間が気になりすぎて食べるのに集中できなさそうです.
ここで撮影していると欧米系の観光客がゾロゾロと、ライトの建築というだけあって海外でも注目度が高いのでしょうか. それで彼らの話で気になった言葉が『World Heritage(世界遺産)』でした. そういえば最近も「落水荘」や「グッゲンハイム美術館」などのライト建築の世界遺産登録が見送られたようです. コルビュジエは登録されましたが、この時代の建築が世界遺産化する流れは、全体的にまだまだ先のような気がしますね.





そしてこちらは屋上のバルコニーです. 南を見渡せば大阪湾まで連続する芦屋の街並み
(写真1枚目)が一望できます. 竣工当時はビルやマンションもなかったはずなので、まだまだ緑の多い邸宅街だったことでしょう. 方形天井となっていた先ほどの食堂は、バルコニー側から見れば頭頂部がグーンと突き出た帽子?のような外観
(写真2枚目)に. 外観からもそうでしたが、大谷石の装飾のおかげで遺跡感が際立ってます.
下のフロアに降りる階段
(写真4枚目)は、どこか地中海の階段を想起させるような幻想的な感じに. そして気になるのは壁面にビッシリと並ぶ大谷石の装飾
(写真5枚目). 実はこの内側は、各部屋上部にあった木扉のついた小窓やトップライトに通じています. 内側は木の落ち着いた感じなのに、外側は遺跡のようなゴテゴテ感というギャップに驚きを隠せませんでした.
大容量でお送りしましたが、紹介はここまでとなります. 関西に住んでるのに、これを長い間見れなかったのは勿体無かったな〜と思わされるほど見事なもので、ライトの建築を直に体験できる素晴らしい探訪となりました. そんな迎賓館ですが、2016年10月頃から約2年の保存工事が予定されているということで、工事なしの迎賓館を見学できるチャンスもあと僅かみたいです. 気になった方はお早めの見学をお奨めします. ではでは今回はここまで〜
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