




東別館があるのは先述の通り、大阪市内を縦断する基幹道路のひとつである堺筋の東側沿道に建っています. かつての大阪は、御堂筋が完成するまではこの堺筋がメインであり、松坂屋の他に三越(高麗橋)・白木屋(備後町)・高島屋(長堀橋)が建つ『百貨店通り』でした. 現在はこの日本橋における堺筋の沿道は電気街として発展しており、電気関連の雑居ビルが並ぶ中にこのレトロな建物がドーンと現れるのは、街と建物の凄まじいギャップを感じさせます.
先に建物の説明をしますと、こちらの建物は1923年に『松坂屋いとう呉服店大阪店』として開業したのが始まりで、現在の建物は2期の増築工事を経て1937年に完成したものです. 設計を手掛けたのは明治〜大正期にかけて名古屋を拠点として活躍した建築家 鈴木禎次
(すずき ていじ)氏です. 地元名古屋では40棟以上もの作品を手掛けたことから『名古屋をつくった建築家』と称されるなど、名古屋近代建築の礎を築きました.
「松坂屋本店」や「野澤屋呉服店(横浜松坂屋)」などの松坂屋施設を手掛けた繋がりから設計されたと思われるこちらの建物で目を引くのが、堺筋に面して連なる長さ67mもの11連アーチ
(写真2枚目). アール・デコ調の曲線が美しいテラコッタが配されたアーチや水平部のデザイン
(写真3・4枚目)は、当時の百貨店建築の上品な雰囲気を今に残しています.





写真2枚目までの前半部分は、堺筋から見えるファサード上側の様子. 1階アーチ部の装飾は豪華でしたが、ファサード全体の装飾は控えめ. しかし列柱頭頂部にある紋章のようなテラコッタのデザインはかなり目立っています. 最上階のアーチ窓は3連続に細かく分節しているのが特徴で、これは本館でもある久野節氏の「南海ビルディング」とは対照的な印象を受けます. この分節した最上階アーチは、既に解体された晩年作である「横浜松坂屋」でも確認できます.
写真3枚目からの後半部分は、堺筋とは逆側となる西側外観の様子. 後ろはどうなっているのかという軽い感じでまわったのですが、外壁ラインはバラバラで、一部は段々状にバックしていたりと、先ほどの綺麗なファサードが嘘のような混沌(カオス)に満ちた外観です. 幾度もの増築を経てということでしたが、その裏側を垣間見たようです.
1966年に松坂屋が天満橋へ移転以降は、現在まで高島屋が事務所・資料館として運用していますが、松坂屋閉店以降は全くといっていいほど手を加えていないようです. そのため表の上品なファサードと裏の混沌としたビル風景を引っくるめて、当時の様子がそのまま残った産業遺産として今もあり続けています.






そしてこちらは、堺筋にあったアーチの内側にあたるアーケード(ポルティコ)です. ギザギザの床デザイン
(写真2枚目)がいい感じ. ショーウインドウ上部
(写真3枚目)や別館入口の欄間
(写真5枚目)にも、アカンサスモチーフのアール・デコ装飾が細かく施されています. その奥に見える照明
(写真6枚目)も見ごたえのある繊細なデザイン. 今はなきウォーリズの
「大丸心斎橋店本館」に匹敵する繊細かつ絢爛なデザインを持つ百貨店建築がまだ残っていたことに驚きでした.
内部も少しだけ入ったのですが、監視員から撮影はNOといわれ、3階の高島屋史料館は休館日だったため十分に見学はできていません. しかしフラッと入館する分には問題はなく、エントランスである1階のエレベーターや階段のデザインだけでも見ごたえは十分にあります. イケフェスのツアーに参加できた人からは、高島屋に変わる際の階段監修を村野事務所が手がけたという話もあるようで、個人的にはいつか内部を見学したいという思いです.
当時の意匠をそのまま残す、堺筋のレトロ百貨店建築へあなたもぜひ. ではでは今回はここまで〜
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