2016/11/15





ビルが建つのは御堂筋以前の大阪のメインストリートであった堺筋と、平野町通が交わる交差点の角地です. このビルを本店とする『生駒時計店』は1870年創業の老舗時計店. 創業当時は御堂筋よりも西側にありましたが、拡張工事により現在の場所に移転. 1930年にこの本社ビルを建設し、大阪大空襲の被害を免れながら今に至ります.
茶褐色スクラッチタイルの外観は、当時流行したアール・デコ様式を取り入れたもの. 交差点側に大きくすみ切りされた外壁の中央には、3階から屋上にかけて縦に配された見事な彫刻版が並んでいます(写真2・4枚目). 最上部に取り付けられた時計店の商標である『将棋の駒に「生」』(写真2枚目)は、近年復元されたもの. 上の時計塔(写真2枚目)は時計店を示すアイコンでもあり、当時この地区のランドマーク的建物だったことも示しています. 鷲の彫刻も見応えあり.








ここからは2016度のイケフェスで特別解放された1階と地下フロアを. なお通常地下・屋上の見学はできません. 入口のガラス(写真2枚目)や、その脇にある照明(写真3枚目)にもアールデコの幾何的な模様が. 正面の階段(写真4・5枚目)は、推定3億年前のイタリア産大理石をふんだんに使用した豪盛なもの. 1階奥にあるエレベーター(写真7枚目)は昔のものを完全保存しており、大理石を用いた回転タイプの表示盤(写真8枚目)が今なおも残ります. このレトロ感がすごくいいです.
設計を手掛けたのは、大正~昭和初期にかけて関西建築界をリードした宗兵蔵(そう ひょうぞう)氏が率いる『宗建築事務所』です. 東京帝大の造家学科を卒業後は宮内庁・海軍省の技師を経て1913年に建築事務所を設立し、「莫大小会館」や「難波橋」など作品を残します. 平面設計は宗氏ですが、その後は大倉三郎氏(後の京都工芸繊維大学学長)などの当時の若手メンバーが担当して完成. 2002年の大規模改修を経て、現在の姿になっています.





ここからは階段(写真1・2枚目)を降りて地下フロアへ. 階段は直角に曲がるのではなく、グネッと曲がりながら降りる感じが新鮮. 地下フロアは昔はボイラー室、電気設備室、さらに一時期には社員食堂としても利用されていたそうです. 天井の高い白と肌色の明るめの2色が目立つ廊下(写真3枚目)ですが、隠れ洞窟のような雰囲気があります. 写真4枚目は地下サロンの様子で、昔の看板を天板にしたテーブル(写真5枚目)がドンと中央に置かれているのには驚きました.
船場の近代建築ブームの火付け役の一つにもなったレトロビル. 本格的に見学ができたのは今年が初めてで、この特別見学には大満足でした. もう竣工から80年が経ちますが、色褪(あ)せることなく堺筋のレトロな風情をとして残っていってほしいです.
【追記 2017.10.6】
2017年度写真健全化作業により一時内観写真の公開を停止させていただきましたが、内観掲載のお許しを頂戴しましたため、文章改善の上で公開を再開しました. ご許可賜りました生駒時計店様に、この場を借りて御礼申し上げます.
- 関連記事
コメント