2016/11/16



ではまず遠方からビルを見ていきます. 建物は土の色合いの外壁が目立つ7階建て(7階は増築部分)で、当時としては珍しいSRC造で建てられています. 全体的に堺筋方向の南北に長く、東西に短くという細長い平面をしていますが、少し南から見ると西側がビルに隠れて、建物が奥まで続くような錯覚を受けます(写真1枚目). 堺筋側の両コーナーは綺麗なアールで整えられており(写真2・3枚目)、御堂筋にある「大阪ガスビル」に似たモダニズムな雰囲気を感じさせます.
建物の設計を手掛けたのは、大阪に本社をおく組織設計『安井建築設計事務所』の創設者である建築家 安井武雄(やすい たけお)氏です. 東京帝国大学卒業後は南満州鉄道(満鉄)や片岡建築事務所に勤め、1924年に安井武雄建築事務所を開設します. 東洋風に設えられた『自由様式』という独自様式を唱えた建築家としても知られており、大阪では当ビルと「大阪倶楽部」、そして先述の「大阪ガスビル」の3つが大阪の代表的な安井建築として現存しています.




こちらは主に手前の歩道から撮影した1階部分の様子を掲載しています. 斜めにせり出した横帯には、巻物を巻いたような中国風のデザイン(写真1枚目). 横にはしる店舗上部の庇には青銅、さらに上部分には格子状になった白ガラス?でしょうか(写真2枚目)、安井氏の東洋的な世界観はアクが強いですが、それが他にはない独特の雰囲気を生み出しています.
入口の両脇には、三日月と竹のデザインが組み合わさった照明柱(写真3・4枚目)が置かれています. ビルの入口ってお堅そうなメージですが、ここは綺麗にそれをふっ飛ばしている感があります. 三日月は満鉄にあった装飾を参考にしたといわれており、『成長・発展』の意味が込められているようです. 竹と月というと竹取物語というファンタジーなものを想像しますが、それを入口に設けるというのはだいぶ攻めた作風に思えます. これがオリエンタル、これが自由様式.
安井氏の処女作は「大阪倶楽部」ですが、安井氏の実質的な出世作はこの高麗橋ビルです. 野村財閥の創業者である二代目野村徳七(のむら とくしち)氏が安井氏に目をつけ、その後も野村財閥の中核企業である「大阪瓦斯(ガス)ビル」や「日本橋野村ビルディング」、「野村銀行本店(現存せず)」などの野村財閥の施設を手掛けていきます. 安井氏自身も野村建設工業の初代社長になったりと、安井氏の野村の繋がりはかなり深かったことが伺えます.




前半2枚は、1階より上部分のファサードを撮影したものを掲載. かつての最上階である6階を除いて、開口は縦長の2枚窓が並ぶシンプルな構成に. 各階の庇には焦茶色の陶器瓦を並べて水平ラインをつけているのも特徴. 6階の窓の両脇には天使の羽のようなデザイン(写真1枚目)が施されています. 下からファサードを見上げると(写真2枚目)、開口両脇の壁が内側に引っ込むことで、壁面部分が列柱のように見えます. 6階に連続する丸い穴は水抜きでしょうかね.
後半2枚は堺筋とは逆の西側外観. かつてはビルが隣接したので、ビルの裏側感がバリバリでてます. しかし瓦の水平庇は、奥までしっかり造り込んでいたようす. よく見ると5階と6階の庇は、途中で途切れることなく繋がっています. あのラインが竣工当時に隣接していたビルの高さラインかもと考えたりもしますが、こればっかりは昔の写真がないとわかりませんね. 安井氏の東洋風様式が光る近代ビル建築、興味が湧いた方はぜひ. ではでは今回はここまで〜
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