2016/11/19




新井ビルは堺筋沿道の中でも中之島に近い場所に位置しています. 写真1枚目の、当ビルの数件奥にある茶色の建物は「高麗橋野村ビルディング」です. 建物は1階を石、2階から屋上手前までをパープルのタイルとし、最上部中央に立派なメダリオンを取り付けた左右対称の外観になっています. しかし左側入口は1・2階に入居する五感専用、右側入口は3・4階のテナント専用と、入るフロアによって別々という不思議な構成です.
設計を手掛けたのは明治〜大正期に関西で活躍した建築家 河合浩蔵(かわい こうぞう)氏. 工部大学校(後の東大工学部)の4期生としてジョサイア・コンドルより建築を学びます. wikiでは1882年の工部省入省から92年の退官までにドイツ留学をしていると記されており、当時のドイツにはセセッション(分離派)の萌芽はあったことでしょう. 3階の窓上部分のデザインが簡略化されたデザインにあるように、外観の作風はセセッションに影響されたものとなっています.




こちらは外観を手前の歩道から撮影したものを色々と. 外観はイケフェス後に撮影し直したもので、偶然に五感が休業日だった日の撮影でした. ドアボーイの方に見られてるとなかなかじっくりと見られないのですが、階段手すりのデザイン(写真2枚目)や締切時の扉(写真3枚目)など、この日はじっくりと鑑賞. 扉や脇の照明(写真4枚目)も竣工時のオリジナルでしょうか、レトロな雰囲気のある良いデザインです.
店舗の中に入ると、そこは中央部分が2フロア吹き抜けとなったショップスペースになっています. そこは銀行時代の営業室として機能していた場所で、会議室や事務室があった2階フロアはカフェスペースとして利用されています. 報徳銀行倒産後は、1934年に『新井証券株式会社』がビルを取得し本店フロアに、1976年にはステーキレストランが30年にわたって営業していました. 1997年には登録有形文化財となり、現在の五感が開店したのは2005年のことです.
2015年のイケフェスでは階段部と上階、及び屋上が公開されていました. 現在はスイーツ店の本店ビルということで人気を博すレトロビルですが、1976年には建て替えのピンチに直面した時期もあります. 結果として建て替えはされなかったわけですが、そこまで追い込まれながらも残す道を選ぶという決心は凄まじいものであると感じます. これからも生きた建築として生き生きとしていてほしいと思います.
※ お詫び
写真健全化に伴い、以前まで掲載していた内観の公開を停止します. ご迷惑をおかけしましたこと、大変申し訳ありませんでした.
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