2017/12/12





それでは外観から. 伏見町通に大きく展開する北側のファサードは、ほぼ全面を植物が覆うザ・もじゃビルといった外観. 現在のビルは5階建てで、4階より上のフロアは後年に増築されています. 外壁を覆う蔦は甲子園球場の株を分けてもらったものらしく、増築フロアにまで緑化が広がっています. 夏場は蔦が覆いますが、冬(写真4枚目以降)になると蔦の葉が枯れ落ちて本来の外壁となり、季節によって外観の表情が大きく変わります. 外観はスパニッシュ様式とされ、鉄柵(写真3枚目)等にはアール・ヌーヴォー調の曲線装飾が施されているのがイイ感じでした.
このビルは当初は食料品店『野田屋』を営む野田源次郎(のだ げんじろう)氏の住宅として建てられました. 当時の富豪層の邸宅というと「ヨドコウ迎賓館」に代表される阪神間の丘陵地というイメージがありますが、船場のど真ん中にドンと3階建てを建てるリッチな方もいたんですね. 設計・施工は大林組と多くのサイトで見られますが、個人としては伊東恒治氏という方が手がけています. が、当人の詳しい情報は見つかりませんでした.





それでは館内へ. 写真はイケフェス2017の際に探訪・撮影させていただいたものです. 玄関から入ってすぐの場所には、3階までが吹き抜けとなった階段ホール. 四角形型の螺旋階段の木手摺は始端(親柱)が渦巻状(写真3枚目)に、途中にも美しい流線型(写真4枚目)を造っているのが見事. ステンドグラスの窓から光が差し込んで、全体的に明るい雰囲気を作り出していました.
竣工から6年が経過した1947年に青山喜一(あおやま きいち)氏が野田家よりビルを譲り受けましたが、当時は戦後ということでかGHQ将校用の施設として活用. 現在のテナントビルへと転用されたのは1951年のことです. 「伏見ビル」はホテル、「新井ビル」は銀行からの転用でしたが、邸宅からのテナントビル転用というのは、いかに野田邸が巨大な都心住宅だったかが伺えます. 1997年には登録有形文化財に登録されており、大阪近代建築の代表格の一つとなっています.





こちらでは階段ホール以外の共用空間を. 大元が邸宅のため廊下幅が非常に狭く、一部が迷路のようになっているのが面白い. 2階のアーチ(写真2枚目)や3階の回り縁(写真3枚目)などに凝らされた装飾、竣工当時からのオリジナルと思われるデザインガラス(写真4枚目)やステンドグラス(写真5枚目)など、旧邸宅時代の華やかさが感じとれる意匠がいっぱいでした.
建築見学はお隣に建つ「伏見ビル」とセットで見学したいところですが、無断での見学・撮影はお断りしているようです. 見学目的の際は、ビル管理事務所にご連絡をして訪問しましょう. ではでは.
【追記 2017.12.12】
イケフェス2017での撮影写真に対する掲載OKを確認しましたため、内観写真掲載と文章改善を加えて記事リニューアルしました. ご許可賜りましたイケフェススタッフ様に、この場を借りて御礼申し上げます.
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