



それでは最初は外観から(写真は2016年秋のもの). 御堂筋側から見る
(写真1枚目)と手前の高層ビルに隠れて建ち、北隣では某メガバンクビルの建て替えが進行中です. 芝川ビルはニッカウイスキーの大株主でもあった、芝川家当主である芝川又四郎氏が自家用のビルとして1927年に完成. 自家用だけではなく、余ったスペースを利用して『芝蘭社(しらんしゃ)家政学園』という花嫁学校としても活用. 現在は千島土地株式会社の運営により、積極的な活用・発信が行われています.
建物は本間乙彦氏と渋谷五郎氏という2人の建築家. 東京高等工業学校卒業という繋がりがあり、渋谷氏が基本設計・構造を、本間氏が意匠を担当しています. 基壇部には兵庫県高砂市で採掘された『竜山石(たつやまいし)』を贅沢に使い、上階の一部には茶褐色タイルとスペイン瓦を. 随所に見られる南米マヤ・インカ帝国のデザインを纏ったテラコッタ装飾は、芝川ビルを象徴するデザインです.





こちらでは道路部分のファサードを撮影したものをいくつか. 3階窓上に掘られた、南米の古代遺跡にありそうな原始的なデザイン
(写真3枚目)も面白い. 道路脇に設けられた一段と高い部分を覗き込むと、地階の窓が設けられたドライエリア
(写真4枚目)が見えます. 石材と幾何学を組み合わせた装飾から、一部ではF.L.ライトに影響された意匠であるという指摘もあるようです.
入口の玄関や各窓には、現代の防火シャッターの役割となる鉄扉
(写真5枚目)を設置. 当初建て替えを計画していた芝川氏は、一時期は辰野金吾氏と共同で設計していた片岡安氏の鉄筋コンクリートの耐震・耐火性のスピーチを聞いて建物を設計したということで、かなり耐震・耐火性を重要視していたようです. 結果的に、竣工から18年後に勃発した大阪大空襲の戦災を免れることに繋がったと思われます.






こちらは2017年のイケフェス大阪にて訪問した内観写真を. 芝川ビルはイベントや見学ツアーを除き、内部見学はお断りということですので注意しましょう. ちなみに本写真は、管理事務員の方から大丈夫との掲載OKをもらっています. 入口を入ってすぐのエントランスも、南米文明デザインの濃密なテラコッタ装飾
(写真2枚目 一部)がビッシリと. 壁面に掲げられたレリーフ
(写真3枚目)は、現在でいう定礎板(箱). 請負を合名会社時代の竹中工務店がやっていたんですね.
写真4枚目以降は1階フロアの様子. 内壁は白とベージュの色合いで、そこに建具の緑が目立つ独特のカラーチョイス. 近代建築特有の高い天井高が、フロア内に開放感を与えています. テナントスペースとなっている1階各部屋は、竣工当時は事務室、客溜り、自家用室、貸室などに使用されていたようです(ビル公開の平面図より). 戦時の金属供出前まではエレベーターも設置され、ホール付近にある狭い扉と配管スペース
(写真5枚目)はその名残として残ります.






こちらでは近代建築なら必須の階段デザインを. エントランスに近いメイン階段
(写真4枚目まで)は、木手摺から側面レリーフに至るまで渦模様が連続する造形力豊かなデザイン. 屋上の親柱
(写真4枚目)は、上に星型模様が彫られたドッシリとしたものでした. 廊下奥の階段
(写真5枚目以降)も、木手摺が継ぎ目なく美しい流線型を作り出しているのも見事です. 階段には芝川ビルに関する写真や資料、今は現存しない付近の近代建築の写真が展示されています.




最後はイベント時にしか立ち入れない、最上階の「芝川モダンテラス」です. 装飾入りの美しいアーチとポルティコ
(写真2枚目)、幾何学模様タイル
(写真4枚目)が敷かれたテラスのある最上階は、2007年の再生工事により往年の姿を取り戻しました. 当日は雨となってしまい、テラスにテーブルや椅子が並ぶことはありませんでした. 今後は賑やかなテラスの光景が見れるといいですね.
高層ビルが建つ御堂筋の裏通りにて、竣工当時の姿を残したままテナントビルとして活用される芝川ビルは、大阪の生きた建築の代表格の一つとして注目されています. 内部も見なければ個人的にもったいないと思うので、気になった方はぜひ関連するイベント・建築ツアーを狙ってご来訪ください. それでは.
【追記 2017.12.13】
イケフェス2017での撮影写真に対する掲載OKを確認しましたため、内観写真掲載と文章改善を加えて記事リニューアルしました. ご許可賜りました管理事務員様に、この場を借りて御礼申し上げます.
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