2016/11/25




御堂ビルがあるのは、大阪の大動脈である御堂筋と本町通が交わる交差点の北西角. 御堂筋方向に長い建物の全面を覆うブラウンの外壁は、ガラス張りや明るい色合いが並ぶビルの中では一際異彩を放っています. 撮影日が晴天だったこともあり、ファサードの窓が青く彩られるという素晴らしい表情を写すことができました. 塔屋のある屋上(写真4枚目)に目をやると、屋上庭園に植えられた植栽がニョキッと出ているのが確認できます.




こちらは主に御堂筋の向かい側から撮影したファサードを掲載. 鮮やかな黄緑に色づいたイチョウ並木と、落ち着いたブラウン外壁のコントラストがいい感じです. 竹中工務店が「竹中大工道具館」の建つかつてのホームエリア神戸から大阪に進出し、株式会社として発足したのが1937年のこと. そこから更に28年を経た1965年に、現本社であるこのビルが完成しました. SRC造の9階建て(地下4階)で、当時御堂筋に存在した31m(100尺)の軒高制限がある中での完成でした.
縦に長いステンレス枠の開口窓が綺麗に並ぶファサードは四面全てが同じとなっているのが特徴. 写真3枚目を見ると、隣接する建物との距離が狭い北側にもしっかりと同じ窓が配されています. 燦然と美しく並ぶ窓は、よく見ると外壁からわずかに飛び出しており、窓のひとつひとつに存在感が感じられるものに. 外壁(写真4枚目)には有田焼の特注タイルが使用され、茶(木)・灰(瓦)・土(土壁)という日本建築の伝統色を組み合わせるという日本的精神が基盤となって作り出されたものです.




こちらは手前の歩道から撮影したファサードの様子をいくつか掲載. 既に竣工から半世紀が経っている御堂ビルですが、周囲のビルと比較してもデザイン的な衰えを全く感じさせません. これが「津山文化センター」と同年の竣工というのもびっくりです. ビルは敷地境界よりも四面全てをセットバックさせて建ているため、御堂筋側は見栄えの良い緑化空間(写真1枚目)になっています. まだまだ主流でなかった公開空地を、見事に先取りしていたというわけですね.
ビルの設計を担当したのは、当時の大阪本店の設計部長だった岩本博行(いわもと のぶゆき)氏. 「白鶴美術館」を手掛けた小林三造氏の下で日本建築の修行を経て、1962年に設計部長に就任. 1967年には校倉造のデザインが特徴的な「国立劇場」の設計も手がけるなど、日本の伝統意匠と近代建築を組み合わせた大作を世に送り出した、竹中の歴史に名を刻む建築家の一人です.
イケフェス大阪では特別解放された1階ホールを見学しましたが. 歩道に接する入口から数段ほど階段で降りているのが気になりました. 実はこの建物、地上9階建てをそのまま建てた場合31mの高さ規制に引っかかるということで、あえて1階レベルを落として実現させています. エレベーターホールの壁はとても荒々しいデザインで、それはまるで樹皮をモチーフにしているかのようでした. 落ち着いた和の佇まいを感じさせる、御堂筋の素晴らしいモダンビルでした.
※ お詫び
写真健全化に伴い、以前まで掲載していた内観の公開を停止します. ご迷惑をおかけしましたこと、大変申し訳ありませんでした.
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