



写真は県庁前通りである県道173号線の北側からスタートしています. 高松市街地のメインストリートである『中央通り(国道11号)』から向かう場合は、『菊池寛通り』という名称のついた高松中央公園の南側道路に曲がってすぐ目の前に見えてきます. 道路の手前に見えるのは県庁東館の低層部
(写真2枚目)で、軽く2フロアほど浮いたボリュームが奥までグーッと水平力を効かせているのが印象的です.
県庁は東西に長い敷地に警察本部、本館、そして東館(旧本館)が並ぶように建っています
(写真4枚目の案内板). 初代の香川県庁舎は現在の場所から少し北の場所にあったといわれていますが、1945年の高松空襲で全焼. 戦後は赤十字病院の跡地の一部を県が買収して、新しい庁舎が建設されることとなります. 今でも県庁のすぐ北には赤十字病院がありますが、元々この場所までが病院の敷地でした.






それでは東館低層棟のピロティをみていきます. 敷地東側から南北に伸びる低層棟のピロティは、県民誰もが気兼ねなく入場できるフリーな場所として計画されたもので、柱の細さとピロティ高さが高いこともあって開放感があります. ピロティの床は玉砂利で舗装され和の意匠が垣間見えたり、配管には石垣の囲いに黒・白・赤のトリコロールの塗装がされていたり
(写真5枚目)と、デザイン的な遊び心が所々にみられるのも面白いポイントです.





低層棟のピロティを抜けて、県庁施設を全体的に見渡せる南庭へとやってきました. こちらの庭は公開空地ということで、誰でも気兼ねなく入ることができるようになっています. 掲載している写真は旧本館棟として長年使用されていた東館の高層棟部分. 建物外側に小梁や合わせ梁が無数に張り出す木組のようなデザイン、各階ごとにバルコニーのスラブを飛び出させて水平ラインを強調させており、コンクリートに伝統的な日本の意匠を取り入れた、造形力溢れる庁舎です.
当時の県知事であった金子正則
(かねこ まさのり)氏は「香川の気候風土、高松の環境に合うこと」「民主主義時代の県庁として相応しいこと」との条件で前衛的な県庁の設計を丹下氏に求めました. 当時の丹下研究室は、研究生に考えさせて方向性を固める設計スタンスだったといいますが、金子知事との打ち合わせは丹下氏との一対一だったため、知事の話を直接聞いていない研究室メンバーにとっては『雲を掴むような雰囲気』だったと、丹下研メンバーであった神谷宏治氏は後の講演会で語っています.




そして東館の西隣にたつのが現在の本館棟
(写真1・2枚目)です. 井桁格子のように組まれた白い骨組みに包まれる高層タワーのようなこちらの本館も、2000年に丹下氏が手掛けた晩年作. 40年も経つと雰囲気が全然違います. この本館ができる以前のこの場所には、3階建て程度の事務棟が建っていました. 現在の県庁舎の玄関
(写真3枚目は南側・写真4枚目は北側)はこの東館と本館のちょうど中間の位置にあり、どちらの館にもすぐアクセスできるように配置されています.




それでは内部です. この庁舎はエレベータ・階段・トイレなどを建物中央に配置する「センターコア方式」を県庁で初めて導入し、今後の自治体庁舎建築のフォーマットとなりました. 丹下氏は師事こそはしなかったものの、近代建築の巨匠ル・コルビュジエの影響を強く引き継いでいたといわれており、先程述べたピロティ・屋上庭園、センターコアにより自由な内部レイアウトを可能にしたなど、その影響を受けた意匠が随所に見られます.
エントランス中央の壁面には、猪熊氏が作成した作品『和敬清寂』 が展示され、受付の事務机は高級石としても知られる庵治石の一枚岩を大胆に加工して使用されていました. 個人的に面白いと感じたのは、十字の小梁の間に挿入された木板と照明のユニットです. 木材が非常に暖かみのある色合いをだしており、RC造だけれども和モダンな空間のイメージを醸し出していました. 当日観覧できたのは1階のみなので、今度はツアーにでも参加して屋上に行ってみたいです. ではでは今回はここまで〜
2016.7.16. 掲載写真(外観)を2016年春訪問分に更新・追加
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