


それでは京都駅側から撮影した写真を掲載しながら、タワーの紹介をザックリとご紹介. 1953年に当敷地に存在した「京都中央郵便局」が移転し、その跡地活用に『京都の将来を象徴する堂々たるビル』として計画されたのがこのタワー. 当初はタワーのような塔状ではありませんでしたが、当時の専務が「横浜マリンタワー」を視察したことでタワー構造物の可能性を見出し、タワー建設としての方針が決定. 東京五輪と同年であった1964年に竣工しました.
設計監理を任されたのは逓信建築の先駆者としても知られ、『分離派建築界』の結成メンバーでもある建築家 山田守
(やまだ まもる)氏で、構造設計は日本建築学会の会長も歴任した京都大学の棚橋諒
(たなはし りょう)教授が担当. ロウソクのイメージとしても知られるタワーですが、本来のイメージは『海のない京都の街を照らす灯台』というもの. 本来航空法では60m以上の構造物に赤白等間隔の『昼間障害標識』が施されますが、京都の景観面に配慮した特例としてこのカラーリングが認められています.





タワー構造物ということでタワーばかりを見上げてしまいそうになりますが、こちらでは低層部にあたるタワービル部分の外観もしっかり観察. タワーがビルの真上に乗っかるのは全国的にも珍しいタイプ. 計画当初は4〜5階程度の観光会館だったものの、後にホテル・大浴場などの機能が追加され、最終的に地下3階、地上9階の大きな複合ビルとして完成. 高度成長が背景にあったためか、かなりの贅沢仕様になった感が伺えます.
そんなビル部分のファサードは、隅切りされたコーナー部分にも回された水平連続窓と、美しいアールが下部分に設けられたグレーの庇が連続したモダニズム感満載の外観
(写真3枚目)に. バルコニーの手摺が赤色というのも珍しく、下から見上げると灰と赤が連続する
(写真4枚目)のも面白い. タワーが目立って隠れがちですが、ビル建築としての山田守デザインもぜひ目を通しておきたいところです.






それでは地上部の様子を見ながら、館内に入っていきます. ビル上層階にあるホテル専用入口
(写真1枚目)は文字のフォントといい電光看板といいどこか昭和っぽさが漂います. ちょっと今風テイストに改修された隅切り部分の入口
(写真3枚目)を入ると、京都の土産物が揃う名店街を進んでいきます. こちらも一昔前の昭和の雰囲気が色濃く残る商店フロア. 名店街奥の券売スペースにある、一部の電飾が消えた『タワー展望券売場』看板
(写真6枚目)のレトロ感が凄かった思い出があります. 雰囲気的に竣工当時からの看板にみえますが、実際はどうなのでしょうか.





大人770円の展望料金を払っていざ展望台へ. 展望台へはまずビル内のエレベーターで最上階の11階まで上がり、そこから展望等の内部まで歩き、タワー内のエレベーターを乗り継いでいきます
(写真1枚目は案内図). チケット確認の受付がある展望室1階(ビル11階)では脇の通路を入ると、ビル最上階からの展望が味わえる回遊通路に進めます. 原氏の京都駅ビルを見る場合は、このフロアからが近すぎず遠すぎずで最適な気がします
(写真4枚目).





ではエレベーターをのぼって地上約100mの展望フロアへ. エレベーター内は、表示器が京都タワーというのもユニークで、カゴ内が台形平面という珍しい仕様に. 京都ということで展望室内も木質かなと想像しながら入ったのですが、ご覧の通り室内
(写真1枚目)は天井・カーペット共に黒のダークな空間に. 通路脇にはタワーのマスコットをご神体にした『たわわちゃん神社』
(写真2枚目)が設置されており、社寺の多い京都ならではといった感じです.
展望室は2層構造で、帰りの際は階段
(写真3枚目)を降りて、下のフロアからエレベーターに乗る必要があります. 市街を眺めると景色の邪魔になる赤い湾曲フレーム
(写真5枚目 奥)ですが、当初の計画ではこのフレーム部分に曲面ガラスがはめられる構想でした. しかし現場は展望が歪むという理由で現在の垂直ガラスに窓を変更. この変更に山田氏はガックリしたそうです. 山田氏が見せたかった曲面ガラスは階段スペースのみの実現
(写真4枚目)となりましたが、真下まで見下ろせるのが眺望としてはいいなと感じました.
写真5枚目はタワー展望台から烏丸通方向に撮影した展望写真を掲載. これ以外にも地上100mから眺める様々な京都市街地の風景を楽しめますので、京都へ来た際は是非とも一度昇っておきたいタワー建築です. では今回はここまで〜
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