2017/04/28





スタートは豊岡駅(写真1枚目)から. 大阪からは特急電車で2時間30分ほどで到着でき、この駅から京都丹後鉄道が宮津・舞鶴まで続きます. 建物へは駅前をまっすぐ伸びる『大開通り』(写真2枚目)を直進しますが、アーケード沿いには非常に西洋意匠のRC住宅(写真3枚目)やハイカラな看板建築(写真4枚目)が多く建ち並んでいます。このレトロな建物は『豊岡復興建築群』と称されるものです。
大正も終わり頃の1925年5月、豊岡から城崎温泉一帯をM6.8の地震が襲います. 俗に『北但大震災』と呼ばれるこの震災により、豊岡は町の大半が消失するほどの甚大な被害を受けました. この経験を踏まえ、豊岡町では先進都市に習い最新の文化様式を取り入れる形で復興が進み、コンクリートの耐火看板建築やRC住宅などが数多く建てられ、当時の地方都市としては類を見ない見事な町並みが形成されました. 豊岡探訪の際は、この建築群もぜひ巡ってほしいところです.






「豊岡市庁舎」の向かいに建つこの建物は、復興建築群と近い時期に当たる1935年に『兵庫縣農工銀行豊岡支店』として建造された旧銀行建築です. 設計は村野藤吾氏の師としても知られる渡辺節氏で、「綿業会館」や「商船三井ビルディング」などと並ぶ現存作の一つです. 同氏の現存作が豊岡にあったことには驚きました. 近年までは市役所の南庁舎として使用されていましたが、2014年にオーベルジュとして改装オープンしました. 名前の『1925』は、大震災からの復興に向けて豊岡が歩みだした年として命名されたものです.
外観はドリス式オーダー4本を中央に並べた重厚な古典様式(写真3枚目)を見せながら、柱間に開口的に設けた連続窓は国際様式を彷彿とさせます. 一見すると西洋的ですが、遠くから見ると(写真2枚目)赤瓦葺きの寄棟屋根が覆う和洋折衷の佇まいであることが確認できます. 窓に設けられた鉄格子(写真4枚目)もアール・デコを意識したオシャレなもので、玄関両脇にはイオニアの木製付柱(写真6枚目)を施すなど、要所要所に欧風なデザインが散りばめられています.



こちらはホテルの入口が設けられた西側の外観. 防犯上開口が小さめの傾向にあるのが銀行建築ですが、ここでは窓の外周をアーチにして、大きく印象的に演出している(写真2枚目)のがナイスでした. 屋根高の違う南側の建物(写真1枚目 手前)は一見すると増築のように見えますが、昔の写真を見ると竣工時からのもののようです. ベージュ調のタイルも、味のあるいい色合いです.
駐車場の入口近くでは、かまぼこ型のユニークな窓も発見. 近代モダニズムのビシッとしたイメージが強い渡辺氏の建築ですが、このような可愛らしい窓も作るんだな〜と思いながら撮っていました. 当日は時間の関係で中には入らなかったのですが、山陰を関西から訪問する際にはもう一度来てみたい建築です. 調べるとホテルには素泊まり1万円前後で泊まれるようですので、豊岡に来た際はこの近代建築ホテルにぜひ. では今回はここまで〜
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