2017/07/17





今回はJR関西本線の伊賀上野駅から. パープルカラーの1両気動車(写真1枚目)にトコトコと揺られながら駅に到着. 伊賀市におけるJRの中心的な駅でありながら、周辺に店は少なく閑散としています. それもそのはずで、当市の中心部はここから伊賀鉄道に乗り換える必要があります. が、鉄道の乗り換え待ちが長かったこともあり国道を南下しながら歩くことに. 柘植川をまたぐ橋上(写真3枚目)からは、中央にしっかりと上野城が見えています.
城址公園の入口付近(写真4枚目)を掲載しながらご説明しますと. 上野城は慶長期に立藩した伊賀上野藩の居城として筒井定次の手により築城され、後に伊勢津藩の藤堂高虎によって大改修が行われました. それ以降は江戸後期まで藤堂氏を城代とした城下町が形成. 上野城址は国の史跡に指定されています. 先ほど見えた層塔型3層3階の天守(写真5枚目)は昭和初期建造の模造天守で、「伊賀文化産業城」という名称がついています. 実際に登りましたが、眺めはなかなかいいです.





俳聖殿は天守を通り過ぎた公園内の北側にあります. 茶室の入口のような門(写真2枚目)をくぐり抜けると、緑の開けた場所の奥にひっそりと建っています. 寺院の多宝塔のような木造建築ですが相輪はなく、美しい反りと湾曲が連続した桧皮葺の屋根が、建物の印象をとても気さくでユニークなものにしています. 周辺からは凛とした佇まいを見せながらも、建物としてはとても可愛らしい、そんな面白い二面性をもった建物です.
この俳聖殿は『おくのほそ道』でも有名な俳聖・松尾芭蕉の生誕300年を記念して1942年に建てられた近代木造建築. 私は現地で知ったのですが、芭蕉の出身地はここ伊賀市(当時の伊賀国)です. 建物は「築地本願寺」を代表作にもつ建築史家・伊東忠太氏が設計に関わった後期作で、芭蕉の旅姿を建築に表現するという珍しいアイデアから建てられたものです. 伝統建築をベースとした自由かつ独創的な造形は価値として高く、2010年に国の重要文化財に指定されました.





もう少し近い位置から撮影したものを. 堂内には伊賀焼で仕上げられた等身大芭蕉座像が安置されています. 形が形なだけに寺院の多宝塔と比較してしまいがちですが、黄土色の壁という茶室らしい色合いや斗栱などの装飾を排したモダニズムな意匠が実にいい. 柱や梁、垂木に丸材が使われるのもポイントで、素材にも軟かい感じがでているのが面白いです. 多宝塔という伝統的で神聖なイメージと、茶室のような穏やかな意匠がミックスした意欲的な木造建築といえます.
建物を総括して茶室のようといいましたが、俳人である芭蕉自身も『笈の小文』にて千利休に言及しており、俳句と茶の湯(茶室)はとても相性の良いものだなと、そんな発見がありました. 双方侘び寂びを示す日本文化ですし. 伊藤氏が伊賀で手がけた近代建築は想像以上にユニークでした. じつは当日上野公園には観光客も多くいたのですが、みんな近くの「忍者博物館」にゾロゾロと並んでいました. この探訪記を機に、俳聖殿にも足を運ぶ人が増えることを願います.
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