




庁舎があるのは上野城が建つ上野公園
(写真5枚目 奥の森林)のすぐ南. 伊賀鉄道が近くを走る南側
(写真1・2枚目)から庁舎をみると、最上階の部分が片持ちでグワッと飛び出しているのが印象的です. 西側
(写真3枚目以降)に回り込むと細いコンクリートの列柱が並び、師であるコルビュジエのブリーズ・ソレイユのような整然とした外観を作り出しています. 1箇所だけ屋上から出っ張ったオブジェ
(写真4枚目)が気になったのですが、どうやら消防署時代のホース干し台の名残のようです.
庁舎の説明を簡単にしますと、竣工したのは東京五輪と同年の1964年. きっかけは坂倉氏が生まれ故郷に建造した「羽島市庁舎」を、当時の市長であった豊岡益人氏が拝見して依頼したとのこと. この一帯は2004年の伊賀市合併誕生前までは『上野市』であったことから、一部のサイトでは「旧上野市庁舎」とも紹介されています. 2014年にDOCOMOMOセレクションに追加選定され、現在(208選時点)も三重県下で唯一のDOCOMOMO建築となっています.







こちらでは庁舎の北側から撮影したものを掲載. 敷地は北から南に向かって傾斜しているため、南側では3階建てだった庁舎は、北側で2階建てになっています. 片持ち部分
(写真2枚目)を近くで見ると、断面の大きいコンクリートの力強さがよくわかります. 庁舎の北東には渦巻き状になった謎の穴
(写真4枚目)があり、覗き込むと地下への螺旋階段
(写真5枚目)が続いています. デザインは造形的ながら、現在はあまり使用されていない感じでした.
写真7枚目には庁舎北側に広がる駐車場が写っていますが、かつてここには坂倉氏1963年に建てた「三重県上野総合庁舎(伊賀市役所北庁舎)」がありました. 当時の豊岡市長と坂倉氏が高校・大学の先輩後輩の間柄とのことで、1960年竣工の「上野市公民館(伊賀市中央公民館)」など上野市の数多くの施設を坂倉氏が担当し、当時の上野は羽島と並ぶほどに坂倉建築が密集していました. 北庁舎・公民館は既に壊され、現在は南庁舎である当庁舎と西隣に建つ「市立西小学校体育館」
(写真7枚目 右奥)、上野公園内にある「白鳳公園レストハウス」が残ります.






東側の庁舎入口にきました. 玄関手前に大きく張り出した重々しいキャノピーを、石垣を模したような柱一本で力強く支えている
(写真2枚目)のが素晴らしい. 列柱の外からだと見えにくいですが、外壁はガラス張り
(写真3〜5枚目)で開放的に仕上げており、今では希少なスチールのサッシュ
(写真4枚目)が趣のある黒い色合いを引き出しています. 先ほど道路側からしか見ていなかった南側の下層部分には、木板型枠によるXマークの意匠
(写真6枚目)があり、非常にカッコイイです.
今回内部にも入ったのですが. 現役の庁舎施設(オフィス)であることも踏まえまして、内観の掲載は控えます. 敷地の傾斜を利用してつくられた吹き抜けの「市民ホール」や、南北2箇所に設けられた2階の「中庭」など、一見外観からでは見当もつかないような素晴らしい内部空間なのですが、気になる方はマナーを守って実際に見学していただければと思います. 2階ホール部分には庁舎に関する建築資料&模型展示コーナーもありました.
2019年には伊賀市の新庁舎が完成することで、このモダニズム庁舎の存続が危ぶまれていました. しかし保存派である前市長が2016年11月に再選したことで、建物の保存活用への方向へと着々と進んでいます. ニュースによると忍者関連施設を入れた複合文化施設になるとか. 伊賀の戦後復興を象徴する建築を残すということは色々と苦難もお有りかと思いますが、個人的ながら伊賀市の今後を応援しております. それでは今回はここまで.
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