




スタートはJR徳島駅
(写真1枚目)から. 後ろの駅ビル「ホテルクレメント徳島」の高さ73mは、徳島で最も高い建物
(2017年現在)です. 交通面でもっと踏み込むと県内の鉄道電化率は国内唯一の0%で、言い換えれば『電車が走らない唯一の県』としても知られます. 駅から眉山へ伸びる駅前大通りを歩いて3分ほどで新町川に差し掛かります. 市の中心河川であり、沿岸数カ所が『阿波踊り』の演舞場になっています. この掲載日である8月16日には『灯籠流し』を行う模様.
南に船場の商業ビルが立ち並び
(写真2枚目)、北に親水公園の木々が生い茂る
(写真3枚目)新町川の西側を振り向くと、3階建てのボリュームが空中に浮いたような巨大な建物が、公園の緑の奥で独特な存在感を放っています. あれが今回ご紹介する徳島県郷土文化会館で、愛称として『あわぎんホール』と呼ばれています. 当初私は愛称しか知らず、この県の地方銀行である『阿波銀行』の関連施設と思っていましたが、命名権だけを売却しただけで実際は県の公共施設です.






建物の手前までやってきました. 上層の外壁がオーバーハングして、白壁の巨大な岩塊が下層の柱に支え上げられる力強さ溢れるフォルム. 縁の部分を分厚いコンクリートで仕上げているため、塊としての重々しいイメージが強調されているように感じます. 北側
(写真4〜5枚目)に回ると、鳴門の渦潮を連想される渦巻き状のデザインが施された、縦に長いコンクリート部分が目立ちます. 大きいボリュームで存在感を放つ、全体的にマッシヴな印象を与える文化ホールです.
多目的ホールや会議室などを備えた文化施設として1971年に完成した郷土文化会館の設計者は、当時京都大学教授(後に名誉教授)であった西山夘三
(にしやま うぞう)氏です. 食事と就寝の場所を分ける『食寝分離』の提唱者として知られ、今日の住居学・建築計画学の礎を築いた建築学者として名高いお方です. なので建築家というよりも建築学者としてのイメージが大きい西山氏ですが、実際に同氏が手がけた作品が徳島にあると知った時は驚きました.






巨大なボリュームのデザインは戦災前まで新町側沿岸に立ち並んだ、白壁が特徴的な蔵の風景をモチーフとしているそうな. 全体の力強さばかりが目に入りますが、細かいところにも強烈なマッス(塊)のデザインが所々に. とりわけ北側2階入口部分のキャノピー
(写真1・2枚目)は、もう庇というか岩そのままという厳ついものになっています. 南側の1階の一部は喫茶コーナーになっており、石垣を模したような外壁
(写真5枚目)がいい感じです.
1階ホールの入口となる東玄関
(写真6枚目)ですが、竣工当時はこのようなデザインではありませんでした. もともと床は赤い煉瓦タイルのようなもので、東側は全体的に半野外の巨大ピロティ空間として開放的にデザインされていたようです. 残念なことに現在は鉄骨・ガラスで増改築され、両脇が大きな壁で塞がれてしまっていて当時の姿は伺えません. こちらに竣工当時の写真はありませんが、『とくしま建物再発見
(徳島新聞連載)』で検索すると出てくると思います.
見学時間が短かったため館内に入るのはまた今度に. ポストモダンへの流れがじわじわとあった70年代の作品ということで、モダニズム要素と徳島の風土性を意識した造形豊かなデザインがいい感じに組み合わさっていたように感じられました. 建築家・西山夘三としてのデザインセンスに触れる、実りある探訪でした.
- 関連記事
-
コメント