




ではJR小松駅の西側広場
(写真1枚目)からスタート. 小松氏の中心市街地といえば主にJR北陸線の西側. 大通りから小道へ入れば、戦前からの木造町家が並ぶ古い町並み
(写真2・3枚目)が随所に残ります. 加賀藩3代目藩主である前田利常の隠居城として知られる「小松城」の城下町として、方や北国街道の宿場町として古くから栄えた小松市街. 一国一城令の後に整備された当城は全国的にも特例で、全藩中トップクラスの石高を誇った加賀百万石パワーを感じざるを得ません.
美術館の東すぐの京町北交差点は、石川発祥のゼネコン『辰村組(現 南海辰村建設)』が設計したレトロ建築「山本久次商店」
(写真4枚目)と「旧石川商銀信用組合小松支店(現 絵本館ホール)」
(写真5枚目)が、それぞれ南西・南東角に建つ面白い交差点. どちらも1930年の竣工. 木造町家の町並みだけでなく、戦前レトロ建築もそれなりに残っています. 大正期以前の中心が北陸線西側の市街地、以後が北陸線東側の旧コマツ工場施設群と、2つの顔を持つ小松市街なかなか面白いです.







そんな古風&レトロな町並みを抜けた小松市街地の北西部、かつて小松城三の丸跡地が公園として整備された「芦城公園」のすぐ南に建つ美術館に到着です. 東側にガラスファサードの建物、西側に古風な蔵造りという対照的な建物がありますが、これらがセットで美術館. ガラス外壁から張り出す薄いキャノピー(庇)や細い鉄骨柱
(写真5枚目)が軽快な現代建築、一方でなまこ壁
(写真5枚目)がアクセントとなる重厚そうな蔵. これが1つの施設で、なおかつ美術館ということに驚きです.
1905年に石川県能美郡末佐美村(現 小松市松崎町)にて誕生し、『写実の奇才』と評された昭和を代表する洋画家・宮本三郎
(みやもと さぶろう)氏の作品を展示する施設として2000年に開館したこちらの美術館. 1941年に織物集荷場として建てられた石張倉庫を活用し、西隣にガラスと鉄骨の新設棟を設けてブリッジでつなぐという、若手建築家3名で構成された『THTアーキテクツ』の案がコンペで採択されました. 既にこちらの組織は2005年に解散済で、御三方それぞれが建築事務所を立ち上げています.






それでは入館. 展示室以外の撮影はOKで、スタッフの方に掲載確認のOKもいただきました. 2棟をつなぐブリッジ部分の1階がエントランス
(写真1・2枚目)となり、倉庫棟の展示室から鑑賞する順路です. 外観からだと竣工当時のままを維持しているように見える倉庫棟ですが、腐蝕の激しい部分があったために解体し、オリジナルの部材を生かして復元されています. 新しく壁ができているとはいえ、復元とは思えないほどの外観・構造の再現っぷりに脱帽です.
内壁
(写真4・5枚目)を見るとタイルみたいな模様が. しかしよく見ると内壁の仕上げは石(小松産鵜川石)、目地に見えたのはステンレスの金網です. 外壁ではなく内壁を石を張った石蔵というのは、私はあまり見たことがなかったので関心しました. 小松地方は凝灰岩石材や九谷焼原石など良質な石の資源に恵まれ、古代の碧玉から九谷焼、鉱山に至るまで約2300年にわたる石の文化を築き上げたそうな. この文化は『珠玉と歩む物語』として2016年に日本遺産に認定されています. それほどまでに、小松において石は重要な要素というわけです.




そういう歴史の重みもある倉庫棟と先に通じると、後半の新設棟はシンプルで味気なくも感じられるかもしれませんが、私はこの白を基調としたガラスと鉄骨のミニマル空間とても好きです. よく似たガラスファサードとして私はこの翌日に谷口吉生氏の
「加賀片山津温泉 総湯」を探訪しましたが、ディティール等は違えど世界的建築家のデザインに劣らず、素直に美しい現代モダニズムの雰囲気を、当時御三方2,30代という若さで手がけたというのは正直凄いなと感激しました.
全国規模の賞歴はBCS賞のみですが、地域ではいしかわ景観大賞・石川建築賞(石川県知事賞<特別賞>)・こまつまちなみ景観賞に加え、日本建築学会北陸支部でも受賞するなど高い評価を受けており、個人的にも非常に納得でございます. 小松文化を継承する石蔵をリノベーションしながら、美しいガラス張りの建物を増築する. 景観としても建築としても非常にバランスの良い美術館建築スポット. 今度は夕暮れ時のライトアップ時にでも来たいなと思いました. では.
- 関連記事
-
コメント