






それでは美術館のある公園の入口
(写真1枚目)からスタートです. 小松城は梯川(かけはしがわ)の蛇行により形成された広大な沼地に造成して川の水を引き入れたため、本丸をはじめとした各所は島のように独立して『小松の浮城』と呼ばれました. 水辺にはヨシ(芦)が多く茂り風流ある景観を形成したことから、その通称が「芦城(ろじょう)」. 当時の水域はほぼ全てが埋め立てられていますが、城址付近の一部の住所が琵琶島・竹島と、かつての浮島の名称となって残ります.
その芦城公園の南東に建つ美術館は、小松市出身にして北國銀行の頭取を勤めた本陣甚一
(ほんじん じんいち)氏が収集し、小松市に寄贈した137点(現在はおよそ900点)の日本画・陶磁器等のコレクションを展示する目的で1990年に開館しました. 緑の公園の中にドドンと現れるザッツ・ポストモダンな外観は、江戸期の蔵を現代アレンジしたものだそうで、確かに屋根は切妻妻入りっぽいです. 手前は水を溜めれそう
(写真4枚目)な感じですが、訪問時はスカスカでした.





では周囲をグルッと. 平面はほぼ円筒形なのですが、所々がわずかに凹(へこ)んでいて花弁状
(写真1枚目)にみえる外観. 各扉の庇が松模様
(写真2枚目)になっているのが面白い. 周囲に展開する太い格子
(写真4・5枚目)は、黒川氏の代表作の一つでもある「埼玉県立近代美術館」に通ずるデザインですが、こちらはそれよりも8年後の作品です. やはりメンテが大変なのか、外壁の黒ずみや庇の錆びが悲しい. 形のユニークさがウリな分、そこが勿体ないという感じでした.
館内は残念ながら撮影禁止. 吹き抜けロビーを中央に、その外周部に展示室が置かれた配置構成. 玄関から裏手の細長いスリット窓までの床材が石になっていて、斜光のような表現になっているのが良かったように思います. ただその分、周辺のカーペットが特注品となり交換が難しい(スタッフ談)という弊害もあり、運用の大変さが伺えました. 各展示室の真上には三角窓があったり、菱形窓からは公園の緑がチラッと見えたりしながら楽しんでた気がします. 玄関から見えたハート窓は締め切りだったのですが、内側の色がピンクなのにはビックリでした.



美術館としての紹介は終わりなのですが、ここからすぐ北にあるこの真四角の建物が気になり撮影. 美術館に似せたような紺色タイルとコンクリート壁の組み合わせながら、扉がすごくデカい. 小松は曳山(ひきやま)が通る『お旅まつり』が有名で、こちらはそれを納めている建物かと思ったのですが、探訪時間がカツカツだったため美術館受付の方にも聞けずじまいに. 知っている方がいらっしゃいましたらご教示をお願いいたします. 締めが微妙ですが、今回はここまでで.
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