



それでは駅ホームと改札から. 大阪駅のはじまりは1874年に遡ります. 当時は現在の駅舎から南にある堂島周辺に、阪急梅田駅のような頭端式で建設される予定でしたが、神戸-大阪-京都というスムーズな線路敷設を考慮して、当時田畑だった梅田に建設されました. 元の地名が『埋田』と呼ばれるように、泥土で埋められた非常に軟弱な土地柄なため、地盤沈下対策に苦労した歴史があります.
地盤沈下や戦時の焼夷弾などで幾多のトラブルに見舞われながらも続いた駅舎は現在で5代目となります. 駅舎の目玉となるのが、駅の上に架けられた180×100mもの巨大な『大屋根』です. 南側から北側へうねりながら昇っていく屋根は、本来左右対称な鉄道屋根からすれば前例のないものです. 屋根を架ける3次元トラスは、その中にキャットウォーク
(点検用の通路)が入るほど巨大です.
そしてもう一つ、あまり目立ちませんが大幅に改良されのが『動線』人の流れです. 本来鉄道橋の下部分にしか改札はありませんでしたが、新しくホームの上部分に『連絡通路』が設けられました. これにより
「ホームのど真ん中から、人が自由に駅の南北をズムーズに縦断する」ということが可能となりました. これは「東京駅
(設計:辰野金吾)」では未だに実現していないらしいので、今後是非やってもらいたいものです.
八重洲から丸の内に回り込むのしんどいんですよ〜


では連絡通路から上のフロアに昇りましょう. 連絡通路の上には『時空
(とき)の広場』とよばれる広場があります. 大阪駅には今回の工事で、人々が溜まれる大きな『広場』を3箇所設けており、この広場はその1つ目にして、大阪駅を象徴するメインの広場になります. 訪問当日はイベントでこのようなイルミネーションを置いており、様々なイベントの会場としても使われています.
営業開始前からニュースとなっていた『金の時計台』は現在も稼働中で、待ち合わせスポットの一つとして多くの人で賑わっていました. 一つ注意が必要なのは『強烈な日照』です. 大屋根が大きく開いているため、特に夕方の西日が強烈です. 反対側を向くか、サンバイザーなどの遮光のあるものを携帯すると便利です. また、暴風雨の場合は雨が入り込むこともあります. 大屋根広場の宿命ですね.






それでは駅の南北に建つ駅ビルをご紹介していきましょう. まずは北側の『ノースゲートビルディング』です. こちらは既存の低層ビルを立て直した新築のビルです. こちらの目玉となるのは「うめきた広場」や「グランフロント大阪」に向かって大きく開いた『アトリウム広場』です. 将来建設される「うめきた北ヤード」に向かって開いた様は、まさに大阪駅への『門
(ゲート)』をダイナミックに表現しています. こちらのビルにはJR西日本の子会社の「ルクア」や「ルクア1100
(イーレ)」が入り、「蔦屋書店」などもあります.
そして10階には『風の広場』と呼ばれる2つ目の広場があり、うめきたや中津の街が一望できる場所となってます. 広場の脇にある階段を昇ると『天空の農園』と呼ばれる都市農園
(アーバンファーム)があり、果物やハーブなど様々なものを栽培する様子を見学できます. しかしこの農園までは非常に長い階段で、高齢者や車いすには厳しい場所にあります.
そういえば「なんばパークス」の農園も最後は階段だけだった気がします




所変わってこちらは南側の『サウスゲートビルディング』です. こちらは先代駅舎の旧ビル『アクティ大阪』の南側を増築して使われています. 旧ビルの構造はそのままなので、北側と同様の巨大な入口・アトリウムがありますが、駅までは見えず視線的に通り抜けていません. 恐らく旧ビルの耐震性能から柱梁を都合良く抜くのは難しかったのだと思います. 当時ニュースで話題となった『水の時計』も健在で「賀正」の文字などが入った正月仕様になってました.
時間バレバレ…こちらのビルには「大丸」がメインで営業しており、その15階に増築部の屋上部である『太陽の広場』という3つめの広場が併設されています. こちらからは「大阪マルビル」を始めとした『ダイヤモンド地区』一帯を眺めることができ、うめきたとは違った表情のある大阪駅周辺を一望できます. また旧ビルの外壁を眺められる数少ない場所でもあります.
まぁ旧ビルの外観を見る酔狂な人なんて私だけだと思いますが… というわけで、2015年最後の建築紹介は大阪駅舎でお送りしていきました. このブログを始めて2ヶ月程度ですが、更新頻度が2日に1記事でなんとか続いてるなと、自分でも関心しています. このブログが続くのも見てくれている皆様のおかげですので、来年も是非よろしくお願いします.
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