



東京駅舎は丸の内の高層ビル群に面して建つことから『丸の内口』と案内表示されるので、間違って反対側の『八重洲口』に出ると、かなりの遠回りを強いられるのでご注意を. 赤い煉瓦に白帯の入るこの駅舎はこのブログ一発目でも紹介した辰野金吾氏の設計で『辰野式』という様式として知られています. 今回はその『辰野式』と呼ばれる様式のルーツを歴史を交えながら少しご紹介します.
辰野氏は1873年に現在の東大工学部の前身である『工部省工学寮(後の工部大学校)』の創立生徒として入学. 入学時の所属は造船でしたが、2年後に造家(建築)学科に転科します. その後は末席で入学した造家学科を持ち前の努力と堅実さで首席で卒業. 教師として着任したジョサイア・コンドルと出会いを経て、官費留学生として英国へ留学しコンドルの師であったウィリアム・バージェスの事務所で学ぶことになります.
辰野氏が日本に帰国後に設計する『辰野式』と呼ばれるフリー・クラシック様式は、当時の英国のクイーン・アン様式や、バージェスのゴシック・リヴァイヴァル建築からヒントを得ています. この東京駅舎はその『辰野式』をベースとした最大規模の建築にして、晩年期の最高傑作とも称されます. 駅舎の総横幅は335m、タテにすれば「東京タワー(333m)」を追い抜くほどの大規模なものです.



修復事業を担当したJR東日本は、重要文化財となった東京駅舎を駅・ホテル・ギャラリーという最先端の機能を取り込んで再生させるという前代未聞の巨大プロジェクトとして進めていきました. 文化財本来の価値を守りながら、建物の安全性・機能性を改善させることに加え、建物一部を復元し、駅の運営を妨害することなくやり遂げるというのは複雑度の非常に高いものだったと推測できます.
外壁をみると既存の2階までの部分と復元した3階部分でレンガに若干の色の差
(写真2枚目)が確認できますが、指摘されないと気づかない程の微々たる差です. 南北両端で復元されたドーム部分は、銅板と天然のスレートで美しく仕上がってました. 葺き方や銅板の納まりは、図面ではなく当時の写真を参照してつくられており、あくまでも東京駅本来の外観的価値や『インテグリティ
(一体性)』を重視して設計されています.
私としては当時の写真だけで復元してしまう職人技に脱帽です…



復元されたドームの内部に入っていきましょう. ドームは8角形の塔となっており、その周りには方位に合わせて十二支のうち八支の動物を象った彫刻が配置されています. 私は復元前の内部を実際に見たことがありませんが、竣工当時の内装はこんなにも豪華絢爛なモノだったのかと感銘を受けました.
そして南側ドームの彫刻をよ〜く見ると一部が黒くなっています. 実はこの黒い正体は創建当時、即ちオリジナルのレリーフです. 外壁を剥がした際に一部残っていたものですが、空襲で黒ずんだためこのような色になっています. ここで一つ謎なことがあります、それは十二支で省かれた「四支
(東西南北を表す子、卯、午、酉)」ですが、近年残りの干支が辰野氏の故郷佐賀県の「武雄温泉本館」にあることがニュースとなりました.




それでは駅舎の2階から上の部分はどうなっているのか. 実は上のフロアの大半はJR東日本ホテルズが管轄する『東京駅ステーションホテル』という高級ホテルになっているため、私では到底入ることができません(笑)しかし駅舎の北端は『東京ステーションギャラリー』という美術館として公開されていますので、そちらを色々と撮影してきました.
撮影は展示室以外OKということで、ババッと載っけていきます. ギャラリーは始めにエレベーターで3階に向かい、そこから螺旋階段を通して2階、1階と降りる動線となっていました. 復元部分の3階は、新築ということで壁面真っ白の空間ですが、螺旋階段の途中から創建当時のレンガが表れ、竣工から約100年の経つ東京駅本来の壁を見ることができます.
当時の鉄骨造の駆体や、焼夷弾で炭化して黒くなった木レンガを見ることができます. やけに表面が白く感じますが、これはレンガの上には当時漆喰が塗られていた名残で、その漆喰の食いつきを良くするために、わざと表面を荒くしたといわれています. 外観はすっかり奇麗になりましたが、内部に当時の面影が感じ取れる空間を残す計らいは流石です.






当時のレンガ壁面が残る2階の展示室を抜けた先には休憩スペースがあります. 出口扉の上部分には配管の名残が読み取れる円型の穴がしっかりと保存されています. 出口の先は、北側ドームの2階に通じています. 上を見上げてドームを映す人々を見下ろしているというのは少し不思議な感覚です. 柱の上部分には「AD MMXII」と書かれていますが、これは「西暦2012年」と言う意味で、改修年度を表しています.
(「AD=西暦」+「MM(ミレニアム)=1000×2」+「XII=12」)そしてミュージアムショップには、創建当時の階段跡がそのまま残されていました. 当時はこの場所に階段があったんですね. そして階段の先はレジの裏に続いているのですが、くり抜かれた階段の跡部分にコーヒーカップや新幹線の模型などがいい感じに置かれていて、個人的にグッときました. 重要文化財がこんな感じでデザインされているのは非常にイイと思います.
今回の紹介はここまでとなります. 辰野氏の最大規模の作品だけあって写真を撮るのも大変でした. 辰野氏の設計意匠も凄いですが、5年もの歳月を要して復元した設計者・職人、そして保存を訴え続けた人々の情熱によって、今日の東京駅はあるのだと思うとジーンときます. 皆様もぜひ東京へ来た場合は一度はこの駅舎をじっくり見てみてください. ということで新年一発目の投稿はここまで、2016年もよろしくお願いいたします!!
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