2016/01/07



鉄道からのルートはみなとみらい線の日本大通り駅で下車し、そこから神奈川県庁の正門前通りを港側に進むと案内板がみえてきます. 写真一枚絵は「横浜赤レンガ倉庫」からの眺めですが、白く光るこのターミナルいかに巨大かがよくわかります. 430mもの長さを有し、3万トンクラスのクルーズ船であれば4隻が一度に停泊可能なこの埠頭は、かつては横浜の貿易の要所として活躍していました.
幕末の1859年から開講した横浜港は、始めは沖合にある貿易船へ『はしけ』と呼ばれる小型船が荷物を載せ換えて荷役をしていました(その小型船用の波止場が、現在の「象の鼻パーク」).しかし、増大する貨物量の背景から接岸して荷役のできる場所の需要が高まりました. そして1894年に整備されたのが、大さん橋の前身となる『鉄桟橋』でした. その後埠頭は拡大、関東大震災によって崩壊・復旧、米軍に接収されたりと色々あって現在の規模となっているわけです.
正門ゲートを通って少し進むと、ターミナルの本館が見えてきます. 港のターミナルは基本ビル構造が多いのですが、このターミナルは2階建てに抑えているため非常に低い. 加えてガラス越しに見える内部が「白い洞窟」のような形状のため、『海ほたる』のような海底トンネルの入口と勘違いしそうな、そんな不思議な感じがしました. これ本当にターミナル?



それでは玄関入ってすぐの出入国ロビーを見てみましょう. 照明の大半を端から下方向に照射しているため、よりいっそう洞窟のような暗暗しさが際立っています. 大さん橋の屋根は『折板構造』という、薄い鉄板を組み合わせて支える珍しい構造を採用しています. 所々が折られた屋根の形状は、まるで日本の折り紙を連想させる美しさがあります.
660件もの応募の中からプロポーザルの一位に輝き、設計を担当したのはロンドンに拠点を構える『FOA』という建築ユニットでした. OMAに勤務歴のあるファシッド・ムサヴィ氏とアレハンドロ・ザエラ・ポロ氏の二人によるこのユニットによるコンペ案は、実に革新的なものだったといわれています. しかしコンペ時に提案されていた構造では実現不可能ということからプランが変更、建設費用も増大してしまうという新○立状態になってしまうという、苦難の多い建築でもあります.
この屋根構造もコンペ時の構造とは異なり、紆余曲折の末の結果でこのような形態になりました. この点の話は、構造担当を行った構造設計集団「SDG」のサイト(



それでは屋上へ向かおう…と思い、サイン通りに屋上に向かう通路に進むと、照明は青色LEDで床面は木材、そしてザ・洞窟と呼んでしまいそうなスロープになってるじゃないですか! 遊園地の歩行型アトラクションにありそうな通路ですね. 青色には落ち着きの効果があるといいますが、ここまで強調されると逆に落ち着かなさそうな気もします.
そして通路内には屋外と館内の境界に自動ドアが設置されていますが、壁天井にピッタリくっつけてる感じで、どうやって施工したんだと言わんばかりの取り付け方です. そしてもう一つ奇妙な点は、この手摺の支えが斜めに取り付けられていることです. 洞窟の通路に対して斜めに伸びる様子は「有機的建築」のような自然性を想起させます.




それでは通路を上がって屋上広場へと行きましょう. ちなみに屋上は24時間開放ということで、根気があればみなとみらいの景色を夜通しで堪能できます(※ただし野宿はできません). 屋上の側端部分と先頭広場は、通路と同じ青色LEDで照らされています. しかし中央エリアは白色LEDのようで、どの基準でこうなっているのかは理解できませんでした.
ターミナル中央部は『大さん橋ホール』と繋がるように、半ばコンサートホールのような段々状の広場になっていました. そのホールの床面には横浜三塔(「キング」「クイーン」「ジャック」)のロゴが入っていました. しかし夜になると、電灯周辺以外は真っ暗だったので、うっかり段差につまづくことも… それだけ自然に見える洗練された段差だと言い換えれますが、転げないように注意です.
ということで、今回の紹介はここまでとなります. よくよく考えると、このターミナルも竣工から10年以上経ってるんですね. 私としてはまだ数年ぐらいしか〜と思ってましたが、時の流れの早さを感じます. オマケとして、ターミナルからの夜の横浜を最後の写真で掲載しています. MM21の夜景を一度に見渡せる絶景スポットですね. 今度はお昼頃に行ければその写真も掲載したいな〜と思ってます. それでは今回はここまで〜
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