



岡山県中心部からはJR津山線で約1時間ほど. 文化センターへはバスという手もありますが、本数が少ないのでレンタサイクルで県道394号を北上する方が手っ取り早いです. 津山藩の象徴として築城された「津山城(別名:鶴山城)」は櫓の数が圧倒的に多い平山城として有名でしたが明治政府の廃城令によって破却し、今は復元された二重櫓や石垣だけの残る城跡となっています. 桜の名所として有名らしく、当日は満開の桜で覆われた行楽スポットとなっていました.
レンタサイクルで吉井川を越えるとそこは、出雲街道の要所としても栄えた城下町. 沿道は雑居ビルの立ち並ぶ商業エリアですが、瓦やうだつが再現された「ごんご通り」のアーケード
(写真1枚目)に見られるように、街並みの修景デザインに気合を入れているようでした. 文化センターはアーケード街から更に北、津山城跡を越えようかという場所の石垣に建つ平屋根の大きい建物です.





外部に突き出した大梁・小梁のある外観は、丹下氏の
「香川県庁舎(旧館)」に通づるRCによる日本の伝統意匠が施されていますが、それよりも注目なのはフロアが上がるにつれて1スパンほど外にせり出すこの独特な構造. 張り出した床・屋根部分は三叉
(さんさ)を重ねたような無数の柱によって支え上げられているというのも特徴で、これをコンクリートでつくっていることに訪問当初は驚きを隠せませんでした.
この文化センターを手がけたのは川島甲士
(かわしまこうじ)氏という建築家です. 黒川紀章氏・谷口吉生氏らよりも少し上の世代の建築家で、独立前は吉田鉄郎氏に代表される逓信省
(ていしんしょう)に勤めていました. 当館の特徴であるこの構造は、日本の社寺建築にみられる『斗栱
(ときょう)』を取り入れたもので、RCによる完成度の高さも踏まえて2005年のDOCOMOMO建築に選定. 某建築系雑誌には『国宝級の建築』と称された川島氏の代表作品です.




もう少し外観をグルッとまわってみます. 名モダニズム建築として50周年を迎えた当館ですが、所々で雨漏りが生じていたりと痛みは激しい模様. この構造だと軒裏のメンテナンスは大変そうですね. 当館はメインとなる建物とは別に、彫刻の施された壁面が取り付けられた展示ホールが南側に隣接しています. ホールスペースが柱梁によって持ち上げられた様は、近代建築のピロティというより「正倉院」に代表される日本古来の倉の佇まいを彷彿とさせます.
敷地北側へとまわれば津山城の北に展開する市街地と、それに向かって斗栱構造の当館が奥までグーッと伸びる見通しのいいアングルを拝むことができます. そしてその外部分に連結しているのは非常階段でしょうか、使う分には非常に危なそうですが、無駄の一切を省いて構造だけで独立するその見た目は謎の美しさを感じます.
ちゃんと撮っときゃよかった…




東側の大ホールの玄関は締め切りだったので、西側のエントランスから内部を少し撮影していると「今日は桜祭りのイベントで人が多く出入りするので写真は〜」ということで即退去. せっかく来たので内部みたいな〜と思ってたのですが、ホール関係者の慌てぶりを見ると邪魔するのも悪い. 結局ホールは見れず、ホワイエなどは窓からの撮影で我慢です.
ホール外周やエントランスの壁面にビッシリとはられた黒・橙のタイルは津山の陶芸家 白石齊
(しらいし ひとし)氏によるもの. 私個人としては日本瓦をモチーフとしたように見える面白いデザインだと思います. もう一つ気になっていたのが大ホールのホワイエ中央に吊り下げられた照明
(内観写真3枚目)で、非常に小さい丸球のペンダントライトを異なる高さで吊り下げて、星のような演出をするユニークな仕掛けに感じました.
竣工が1966年ということで先述した「香川県庁舎」や前川國男氏の
「東京文化会館」などが近作になることから、コンクリートという新素材でいかに造形的なデザインを実現させるのかという背景が当時の一つの流れにあったと想像します. そういう意味では当館もその潮流を今に残す貴重な近代建築ですね. 津山へ来た際は是非、ではでは今回はここまで〜
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